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アメリカ回顧録 1992年#3

1992年に行った審判学校では、入学当初はまだまだ本当にアメリカで審判が出来るのかは、全くわからない状態でした。1週間ぐらいが過ぎた頃から審判学校側の人たち、Jim Evans 校長やTim Welke チーフインストラクター、Jeff Kellogg AA審判 インストラクター、Mike DeMuro Rookie審判 新人インストラクター、Bill Welke Rookie審判 新人インストラクター、などの人たちが我々に対する接し方が明らかに変わってくるのがよくわかりました。最初は日本から来たお客様というような扱いであったのだが、途中から僕たちが本気で挑戦していることがわかり、細かいところまで注意されるようになりました。


この年の審判学校には、日本人が全部で6人在籍していました。パリーグから派遣されていた、佐藤さん、山村さん、古堅さん、栄村さん、の4名と名古屋でアマチュア審判をされていた鬼頭さんと僕の6名もいたのです。パリーグから派遣の4人は研修だったのですが、鬼頭さんと僕は本気で挑戦していました。鬼頭さんと相部屋だったのですが、毎日部屋でも鏡を見ながらジェスチャーの練習をしたり、ルールブックを読んで問題を出し合って、毎日のように行われていたルールテストに備えて勉強をしていました。鬼頭さんの存在があって、今の僕があるのだと思っています。一人で行っていたら、アメリカでプロ審判になれたかどうかはわかりません。


グランドでのトレーニングは、大きく分けて100人ほどの生徒を半分づつに分けて2つのフィールドで同時に同じトレーニングをやることが多かったと記憶しています。その同じグループのほうにJim Reynolds(現MLB審判)がいたので毎日彼とは同じトレーニングをライバル視しながら(僕のほうだけかも知れませんが...。)頑張っていました。


ライバルの存在ってとても大きいのです。審判学校では、周りはみんなライバルです。個々の生徒がそれぞれ皆をライバルだと思って頑張ると、必ずそれぞれの人の能力は向上しているはずです。結果的に、プロになれるかどうかという違いは生じてしまいますが、個々の生徒の才能は最大限伸ばされるのです。競争の世界に放り込む意義は、ここら辺りにあるのだと確信しました。このような競争の中からメジャーリーグ審判が生まれていくのです。そんな競争の中での5週間は、僕の審判人生の礎になったことは言うまでもありません。


今我々が運営しているNPBアンパイアスクールも期間こそ短いですが、素晴らしい競争の中から素晴らしい審判員を生み出す仕組みをつくっていきたいと思います。必ずそのようなスクールにしていきます!

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■Jim Evans 校長の授業風景

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■当時ルーキーインストラクターであったMike DeMuro


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