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2015年08月 アーカイブ

2015年08月07日

アメリカ回顧録 1992年#2

英語が全く出来なかった僕がアメリカの審判学校に入学することを決めた理由の一つに渡米の数年前に大ヒットした映画『トップガン』を観たことにあります。


『トップガン』は、主人公のマーベリック(トム・クルーズ)は、海軍の戦闘機パイロット。その海軍戦闘機パイロットで優秀な者、エリートパイロットだけを集めて、その中でのトップの座を競わせベスト・オブ・ベストのパイロットを養成するフライト・スクールを舞台に繰り広げられるアクション、青春映画です。そのフライト・スクールの様子がアンパイア・スクールと僕にとっては凄く被っていて、アメリカの審判学校に憧れたのでした。


一番印象に残っているシーンは、全体的なストーリーになってしまいますが、マーベリックがパートナーのグースを自分との飛行中に事故で失ってから、自信を失いますが、自力で立ち直り、最後は本当のロシアとの戦闘で、ヒーローになって復活するというストーリー部分です。ここは、後にプロ審判になってから見返して何度も勇気づけられたところです。審判の仕事は、時に自信を無くしかけることが何度か訪れます。そのつらい時を歯を食いしばって自力で立ち直るということを繰り返し審判として成長していくのです。


審判学校に憧れることの原因となったシーンは、フライト・スクールの休日に遊んでいたビーチ・バレーのシーンと夜に遊びに行ったバーで会った女性教官を歌で口説くシーンを見てアメリカ、そして審判学校に憧れたものでした。特に教官を口説いた曲は、アメリカ人ならみんな知っているオールディーズのソングで、ライチャス・ブラーザースの『You've lost that loving feeling』(邦題 振られた気持ち)です。これだけは絶対英語で完璧に歌えるようにして、アメリカで絶対歌ってやろう!と思って覚えて渡米しました。実際にバーで口説くということは1回も出来ませんでしたが、当時アメリカで流行りだしていた”カラオケ”で歌って大絶賛を受けることに役立ちました。


単純に映画の映像、風景の素晴らしさに憧れて、曲も歌えるようにしてアメリカに行きましたが、たった一曲を英語で歌えるようにしていったことが何度もアメリカ人とのコミュニケーションをとるための助けになったことか。


たった一本の映画を観たこと、そしてそれがきっかけで覚えた一曲の歌。英語の全くで出来なかった僕を救うことになってくれたことか。今思えば、これらがなかったら今の僕はなかったんだろうなとも思います。トップガンと振られた気持ち。たったこれだけで僕の人生が大きく変わったんだなぁと何か今さら感動しています。

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2015年08月13日

アメリカ回顧録 1992年#3

1992年に行った審判学校では、入学当初はまだまだ本当にアメリカで審判が出来るのかは、全くわからない状態でした。1週間ぐらいが過ぎた頃から審判学校側の人たち、Jim Evans 校長やTim Welke チーフインストラクター、Jeff Kellogg AA審判 インストラクター、Mike DeMuro Rookie審判 新人インストラクター、Bill Welke Rookie審判 新人インストラクター、などの人たちが我々に対する接し方が明らかに変わってくるのがよくわかりました。最初は日本から来たお客様というような扱いであったのだが、途中から僕たちが本気で挑戦していることがわかり、細かいところまで注意されるようになりました。


この年の審判学校には、日本人が全部で6人在籍していました。パリーグから派遣されていた、佐藤さん、山村さん、古堅さん、栄村さん、の4名と名古屋でアマチュア審判をされていた鬼頭さんと僕の6名もいたのです。パリーグから派遣の4人は研修だったのですが、鬼頭さんと僕は本気で挑戦していました。鬼頭さんと相部屋だったのですが、毎日部屋でも鏡を見ながらジェスチャーの練習をしたり、ルールブックを読んで問題を出し合って、毎日のように行われていたルールテストに備えて勉強をしていました。鬼頭さんの存在があって、今の僕があるのだと思っています。一人で行っていたら、アメリカでプロ審判になれたかどうかはわかりません。


グランドでのトレーニングは、大きく分けて100人ほどの生徒を半分づつに分けて2つのフィールドで同時に同じトレーニングをやることが多かったと記憶しています。その同じグループのほうにJim Reynolds(現MLB審判)がいたので毎日彼とは同じトレーニングをライバル視しながら(僕のほうだけかも知れませんが...。)頑張っていました。


ライバルの存在ってとても大きいのです。審判学校では、周りはみんなライバルです。個々の生徒がそれぞれ皆をライバルだと思って頑張ると、必ずそれぞれの人の能力は向上しているはずです。結果的に、プロになれるかどうかという違いは生じてしまいますが、個々の生徒の才能は最大限伸ばされるのです。競争の世界に放り込む意義は、ここら辺りにあるのだと確信しました。このような競争の中からメジャーリーグ審判が生まれていくのです。そんな競争の中での5週間は、僕の審判人生の礎になったことは言うまでもありません。


今我々が運営しているNPBアンパイアスクールも期間こそ短いですが、素晴らしい競争の中から素晴らしい審判員を生み出す仕組みをつくっていきたいと思います。必ずそのようなスクールにしていきます!

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■Jim Evans 校長の授業風景

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■当時ルーキーインストラクターであったMike DeMuro


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